釈迦祭 花祭 祝賀献花
釈迦祭 花祭
4月11日(第2日曜日)
釈迦祭祝賀献花へのお申込みはご自由となっております。
お申し込み期限は、3月28日(第4日曜日)です。
金美泉という釈迦佛は、すべての美に関する釈迦の力を表わしています。
釈迦のお母様は、マーヤ夫人で大変美人の方でした。
この釈迦も美ということに関しては非常に見識のある方でした。この美というのは、人間にとって非常に大切な事で、特に女性は、金美泉釈迦をお参りしなければなりません。
金美泉釈迦は、あなたの美を成長させ完成させます。そういう御力があります。この金美泉釈迦を八尊光倫会にお迎えした事は非常に美の世界としては大変大きな事です。
どうかあなたの美を成長させる、あなたの美を完成させるためにお参りしてください。
加羅羅観音という名称をあまりお知りにならないと思います。
加羅羅という言葉は子供がお母さんのお腹にいた時間のことを一加羅羅、二加羅羅と時間の長さを言います。これは仏教語でございます。
しかし、この世に転生で生を受けても、人間の数々の煩悩の果て、この世に生まれることのできなかった転生の魂があります。これは悲しき、寂しき、辛いことであります。この生まれ得なかった魂を慰めこの世から旅立って行った魂の寂しさ、悲哀を心に込めてお参りする佛像を加羅羅観音と申します。
あまり詳しく事を書きたくはありません。あまりにも悲惨な魂であります。必ず御供養をなさならければなりません。その魂の寂しさを心から御供養してください。母であるあなたは、この佛像に出会った時それを心に誓ってください御供養が大切です。
歓喜佛(ヤブユム)には、父母佛、男女合体尊、忿怒歓喜佛があります。インド、ブータン、ネパール、チベットの仏教美術においてよく見られます。男性尊格が配偶者と性的に結合した状を描いたシンボルで愛情を表す佛像であります。
男性尊格が蓮華座にて座し、伴侶がその腿に腰かける座位の構図が一般的です。
歓喜佛の多くは、多面多臂で恐ろしい形相をした忿怒歓喜佛として、その姿が現されています。
チベットでも、歓喜佛は、チベット密教では最終段階に近い修行者しか目にすることができないといいます。一般の信者には見せるものではないとされ、通常は、錦の衣をまとっていて、一般の信者には見せない秘佛とされています。
この偉大なる佛像は、一番上に聖霊界をあらわし右の中間には天国を表し、左の二つの場所には地獄が表されています。天国、地獄、生まれ変わる転生の世界、それを三界像といいます。
これは、羅門佛像美術館、タイの王室、アメリカ元大統領ニクソンと世界に三つしか存在していません。この像は何でできているのかワシントン条約があり公表できません。この像は明かりを照らしますと天国の場所、地獄の場所におのおの像が彫られています。人間はいかに生きていくべきか、そして自分はどこの場所にいるのか想像しながらこの像を見るとたいへん自分の心の中がわかるというものであります。
この像を彫るのに二十五年の歳月がかるといわれております。この像が製作された場所は中国のシルクロードの方だと伝え聞いております。
羅門観音とは、七つの眼を持つ佛であります。人の善悪をしっかり見抜いて七つの眼でその人の心を読みます。善悪の心煩悩の心、そしてやさしい、人を思う心、そのように人間の持っている心をすべて見通す佛です。それを羅門観音といい
ます。
この佛像は、アメリカで、大変必要とされ、アメリカに所有されるところを八尊光倫会聖尊寺が所有権を得ることができました。国際的にも有名な佛像です。
この羅門観音の前に座りまして合掌しますと、羅門観音にはすべてのものを見通す力があります。あなたが考えていること、思っていることすべて羅門観音に見抜かれてしまう佛像であります。
仏教の開祖です。古代インドの小国、釈迦族の王子で本名はゴータマ=シッダールタです。妻や子供もいた実在の人物で、釈迦如来とはその釈迦が悟りを得た姿をあらわしています。
釈迦は、母である摩耶夫人の右わきから生まれたと言われています。また、生まれたばかりのとき、7歩歩いたあと天地を指さし「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と言われたことは有名です。このときの姿をあらわしたものが、誕生釈迦仏と呼ばれています。この世で1番尊いのは自分であるという意味に誤解されがちですが、ひとりひとりが尊い命で聖なる使命を持って生まれてきたという意味です。29歳で出家し、35歳で悟りを開き真理に目覚めてからは、仏陀(ぶっだ)・釈迦牟尼世尊(しゃかむにせそん)・釈尊(しゃくそん)、如来などと呼ばれるようになりました。この頃は人々に説法を説いていたそうです。その後、釈迦は沙羅双樹の下で80歳で入滅(死去)したと伝えられています。
常不軽菩薩とは、釈迦の前世の姿と言われています。人には必ず仏心があって、その仏心を持つ人間に出会う前に、誰でも仏心を持っていると思ってその人を拝むのです。この人はいずれ仏になる。仏の心を持っている人が多くいる、ゆえに常不軽は誰に会ってもその人の仏心を見抜き、合掌してその人の心を拝むのです。
常に人間は善悪がありますが仏心とは仏の心を持つ素晴らしい人のことを言います。
煩悩が少なく、悪が少なく清い心を持つ人が仏心を持っていると信じて出会う人に必ず合掌してその人の心を拝みます。拝む姿は、釈迦の前世の姿と言われています。常不軽が転生して釈迦になったという摂理論が一般的に言われています。
観音菩薩(かんのんぼさつ)とも呼ばれ、人々を常に観ていて救いの声(音)があれば瞬く間に救済するという意味で日本でも多く信仰されています。六観音の一つに数えられ、地獄道に迷う人々を救うとされています。
六観音には、地獄道に聖観音、餓鬼道に千手観音、畜生道に馬頭観音、修羅道に十一面観音、人間道に准胝観音(じゅんでいかんのん)または不空羂索観音(ふくうけんじゃくかんのん)、天道に如意輪観音が配されています。
苦しんでいる者を救う時に千手観音や十一面観音などの六観音や三十三観音など、様々な姿に身を変えて救いの手を差し伸べます。変化観音と区別するために聖観世音菩薩と呼ばれる。単独で祀られることも多いが、阿彌陀如来の左脇侍として勢至菩薩と共に三尊で並ぶこともあります。ちなみに般若心経は観音菩薩の功徳を説いたものです。
大日とは「大いなる日輪」という意味です。太陽を司る昆廬舎那如来がさらに進化した佛です。密教では大日如来は宇宙の真理を現し、宇宙そのものを指します。また、すべての命あるものは大日如来から生まれたとされ、他の佛は大日如来の化身と考えられています。
大日如来には悟りを得るために必要な智慧を象徴する金剛界大日如来と、無限の慈悲の広がりを象徴する胎蔵界大日如来という二つの異なる捉え方があります。金剛とは、ダイヤモンドのことを指し、智慧がとても堅く絶対に傷がつくことがないことを意味しています。また、胎蔵とは母親の母胎のようにすべての森羅万象が大日如来の中に包み込まれている様を意味しています。この二つが揃って大日如来を本尊とする密教の世界観ができあがります。日本では平安時代に浸透した密教において最高佛として位置づけられ、大日信仰が成立しました。
普賢とは「全てにわたって賢い者」という意味で、あらゆるところに現れ命ある者を救う菩薩です。文殊菩薩と並んで釈迦如来の右脇侍として三尊で並ぶことが多いですが、独尊で祀られる場合もあります。文殊菩薩の智慧とともに修行を司る菩薩として、明晰な智慧で掴み取った仏道の教えを実践していく役割を果たすとされています。また、女性の救済を説く法華経の普及とともに女性に多くの信仰を集めました。
文殊菩薩が般若の智を代表するのに対して、普賢菩薩は行願の面を代表しています。
「華厳経」普賢行願品には十大願を発し、また普賢十羅刹女像のように「法華経」の誦持者を守護すると説き、文殊菩薩とともに諸菩薩の上首として単独でも信仰され六牙の白象に乗ることで有名です。
この菩薩は西域地方でも中国でも古くから信仰され、中国の峨眉山はその霊場として知られています。日本では、特に平安期に篤い信仰を受け、盛んに造像されました。特に延命を修する本尊を普賢延命菩薩といいます。
正式名称は文殊師利菩薩(もんじゅしりぼさつ)といいます「三人よれば文殊の知恵」という格言があるように、知恵の神様として学業向上や合格祈願に有名な菩薩です。釈尊の入滅後に生まれた人物とつたえられ「華厳経」によると南インドで布教活動に従事し般若波羅蜜を説き「般若経」を編集したといわれています。
本来は学問などの知恵を司るのは虚空蔵菩薩であり、文殊菩薩は物事のあり方を正しく見極める力・判断力を意味する「智慧」を司っています。
釈迦如来の左脇侍として普賢菩薩とともに三尊で並ぶことが多いですが、独尊で祀られることもあります。また獅子に乗る形にも造られ、眷属として八大童子を従える場合もあります。中国の五台山、日本では葛城山が聖地とされています。
現在は菩薩のままその浄土の兜率天で天人のために説法しているが、釈迦仏の予言によって、その寿命が4千歳(人間の56億7千万年)尽きた時、この世に下生して竜華樹の下で成仏し、三会において説法する約束である。その時は仏の資格
を得るから弥勒仏とも称せられる。また、釈迦仏の代わりとなる意味で、補処の菩薩とも呼ばれる。
弥勒とは古代インドではマイトレーヤと呼ばれ、慈悲から生まれた者を意味しています。仏となることを約束されているため、弥勒仏、弥勒如来と呼ばれることもあります。釈迦が亡くなられてから56億7千万年後に仏となりこの世に現れ、釈迦の教えで救われなかった人々を救済するといわれています。
現在は仏教世界の中央にそびえる須弥山(しゅみせん)の上空にある兜率天(とそつてん)という天界で修行しています。
「動かない守護者」を意味し、インド神話のシヴァ神の別名です。シヴァは暴風雨の威力を神格化したもので、破壊的な災害を起こす反面、雨によって植物を育てます。その破壊と恵みの相反する面は不動明王にも受け継がれているのです。
不動明王は仏法の障害となるものに対しては怒りを持って屈服させますが、仏道に入った修行者には常に守護をして見守ります。大日如来の化身として、どんな悪人でも仏道に導くという心の決意をあらわした姿だとされています。
特に日本で信仰が広がり、お不動様の名前で親しまれています。そして、五大明王の中心的存在です。五大明王とは、不動明王を中心に降三世明王(ごうざんぜみょうおう)・軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)・大威徳明王(だいいとくみょうおう)・金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう)の5体のことを指し、不動を中心に東西南北に配されます。不動明王の脇侍として八大童子のうちの金伽羅(こんがら)・制多迦(せいたか)の2童子が配されることも多いです。ちなみに不動明王の持っている龍が巻きついている炎の剣が単独で祀られている場合があります。不動明王の化身とされ、倶利伽羅竜王(くりからりゅうおう)などと呼ばれています。
チベットにおいて、この女神は絶大な信仰を集めています。
ターラー菩薩に祈ることで、修行の成就や心の平安、災難から身を守ってもらうなどさまざまな願望が叶うといわれています。
大乗仏教から中期密教では、観音菩薩が「自分がいくら修行しても、衆生は苦しみから逃れられない」と悲しんで流した二粒の涙から生まれたとされ、右目の涙からは白ターラーが、左目からは緑ターラーが生まれました。彼女たちは「衆生の済度を助ける」と発願し、菩薩は悲しみを克服したといわれています。
後期密教では、ナーゾー・オー国の王女ジュニャーナ・チャンドラーが王城の地にて衆生を禅定に入らせ続け、「(輪廻から)解き放つ女人」と呼ばれるようになりました。比丘「無垢の光を放つ者」が十方の諸佛から灌頂を受けて聖観世音になったと同時に自身も灌頂を受け、聖観音と無上ヨーガを行じたのち、聖観音の胸から「女尊ターラー」が生まれたといわれています。
正しい名前は千手千眼観自在菩薩で、千本の手がありその手の掌には目がついています。手は多くの人々に救済の手を差し伸べ、目は人々を教え導く知をあらわすとされています。
このように千の手と目はどんな人達でも漏らさず救済しようとする広大無限の慈悲の心を表現している。
観音の中でも功徳が大きく、観音の中の王という意味で「蓮華王」と呼ばれることもあります。
阿修羅や金剛力士などの二十八部衆を配下にしています。また六観音の一つに数えられ餓鬼道に迷う人々を救うといわれています。
後背にある四十手のそれぞれが二十五の存在領域の衆生を救済するので、合わせて千を意味すると言われています西域やチベットには実際に千手ある図もあります。